【実践】「めあて」と「まとめ」の在り方

算数の記事が続いていますが,今回は授業における「めあて」と「まとめ」のお話を書きたいと思います。

いろいろな授業を参観する機会をいただくのですが,本当に各所の指導として,教育委員会や教育局から「めあてとまとめを確実に設定し,互いに正対した…」という指導をされている学校が多いと感じます。

もちろん,そのこと自体に問題があるとは思いませんし,本時の目標の達成のために「めあて」や「まとめ」が位置付くことは,当然のことです。しかしこれが,「必ず設定しなくてはいけない」とか,「必ず教師が板書しなくてはならない」とか,逆に「子供の言葉で書かなくてはいけない」とかなると,途端に怪しいものになります。

理想を言うならば,子供が主体的な学習者であれば,課題に迫る適切な問題を出した時点で,教師が「めあて」を示すまでもなく,「本時の目標」へ迫る活動が展開するはずです。めあてを「共有」や「確認」するならばともかく,教師がめあてを「提示」することは,子供の主体性を否定しかねないのではないでしょうか。

まとめについても同様で,本時の学習活動を通して思考したり,表現したりすることで本時のねらいが達成しているものを,あえて「書く」という限定的な方法で毎回「まとめる」というのは,それこそ型にはまったやりかたなのではないでしょうか。

教師の指導法としての一つのステップとして,「めあて」「まとめ」を行う授業はあるのでしょう。特に指導者として,指導法の幅が少ないうちはベースとすべきやりかたとも思います。しかし,授業改善を目指したALの授業の中で,「必ず取り組むべきもの」ではないと考えます。


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