前の記事で「初等・中等教育でアクティブラーニングを推進されるようになった背景」について簡単に説明しました。
前の記事:「アクティブ・ラーニングとアクティブラーニング」
では「どうしてそうなったか」という話を今回はしようと思います。
アクティブラーニングでは,PBL(課題解決型学習,問題解決型学習)や協同学習,ピアインストラクションやプレゼンテーション,ディベートやフィールドワークなど多様な形態での学びが展開されています(それぞれのコンテンツについては後程紹介します)。
しかし,これらについては「言語活動」や「算数・数学的活動」「総合的な学習の時間」などで,小学校や中学校では様々な良質の実践で見られているものがほとんどです。大局的に見れば小学校・中学校ではすでにアクティブラーニングが行われていたと言ってもよいかもしれません。先の京都大の溝上慎一先生も,中央教育審議会の諮問が出るまで「高等教育におけるアクティブラーニング」≒「中等教育での言語活動」と考えていたとも言っています。
では,新たな学びではない以上,アクティブ・ラーニングの研究には価値がないかというと,そんなことは当然ありません。
なぜなら,上記のような良質な実践が,日常的に行われているかと疑問符が付くからです。教育調査研究所の調査によると,各小・中学校の校長への質問用紙による集計で,
「アクティブ・ラーニング」が行われている教科等は「算数」や「総合的な学習の時間」の2つで,いずれも学校全体の50~60%であり,その他の教科等においては半数に届いていない。一般財団法人教育調査研究所「研究紀要第95号 小・中学校におけるアクティブ・ラーニングの現状と今後の課題」より
となっています。やはり,「優れた実践」には見られても,「一般的な授業」ではないという現状が見えます。実際,先生方の間では「アクティブ・ラーニングは授業づくりが大きく変わって,準備が大変そう」と感じている人も多いという印象があります。同時に拒否反応も強く感じます。
つまり今回の文部科学省が「アクティブ・ラーニング」という言葉を使ったねらいは,「優れた実践」を「一部の先生だけのもの」とせず,「どの先生も一般的に行えるような授業づくり」であると考えられます。もちろん,そのような授業がどうして重要であると言えるのかについては,各調査機関が詳しく提示しているのですが,それは次の記事「アクティブ・ラーニングは手段であり,目的ではない」で書こうと思います。今回はココまで。
補足
言葉の目新しさで内容を惹きつける今回のようなやり方は,文部科学省の十八番ともいえるやり方です。最近ですと,「小1プロブレム」の解消を目指すなどの幼小接続に「スタートカリキュラム」と名付けて現場にインパクトを与えるといった手法です。そういう意味では,もともとある程度の実践を積まれた先生(特に各学校の研究主任になるような先生方)は,あまり言葉に踊らされないよう,慎重な姿勢で見るくらいがいいのかもしれません。