「協働的な学び」が上手くいっていない背景

前記事「協働的な学び」が「対話的な学び」にシフトした理由」で書いていた「協働的な学び」の問題点について,まだ書き足りていないのでその続きです。本当は,平成28年8月現在のALの文科省の認識について,推測を含めながら書こうと思っていたのですが,それはこの次にします。

現行で研究テーマを「言語活動」にしている学校は多いと思います。あるいはそれを踏まえて今は「ALの研究を進めているところ」という学校も多いでしょう。

さて,「言語活動」の研究の反省として意外と多いのは「単純な話型指導になってしまっている」ということです。つまり,発達段階に応じて,「どんな言葉で話せばいいか」ということに終始してしまい,本来は学びの手段であるはずの「話し方」の獲得が目的化し,表現の幅を狭め,型の獲得のために教師主導の指導が増え,結果的に子供の主体性を奪うという流れが多いかった,ということです。これは過去の例でいえば,「100マス計算」の時の流れと似ています。手段(簡易な計算の高速化)は,比較的容易なので研究の取組として扱われやすいものの,その目的(深い思考が必要な問題の解決のための「道具」としての計算力の獲得)まで把握していないことで形骸化してしまうというのは,よくあることです。

今回のALの例でいえば,「協働的な学び」がその例に近くありました。言語活動とも相性が良く(前記事「なぜ初等・中等教育でアクティブ・ラーニングが推奨されているのか」を参照),実際AL研究をここから始めている学校も多いことでしょう。しかし実際の多くの(「研究授業」ではない)授業では,ペア学習やグループ学習が教師主導の下で行われ,子供の「主体性」や協働的に学ぶ「よさの実感」などはあまり大事にされていないのが現状でしょう。

「知識伝達型講義を乗り越える…能動的な学習」(溝上慎一 詳しくはコチラ)であるALにおいて,「学びの中心は子供である」という考え方へのシフトは今回の最重要項目であると言えます。それでいながらこれまで「協働的な学び」の下で行われている実践は,上記のような問題点があります。

学びへの考え方をシフトするなら,下の本がおすすめです。会話形式でとても読みやすく,「対話的な学び」の具体が示されています。少し前の本なのでAL的な強調されていませんが,西川先生はその後「学び合い」の視点からALについて,たくさん本を書かれています。そちらを読む前に,一度読んでもいいと思います。

クラスと学校が幸せになる『学び合い』入門<会話形式でわかる『学び合い』テクニック> (THE教師力ハンドブック)