【AL勘違い】「ALは今までと変わらない」という言葉

先日研究会に参加した時に,ある先生がALの雑感をお話された中で「どこの研究会に行ってもALは今までと変わらないといわれる。何をすればいいかわからない」というものがありました。

私自身も文部科学省で新学習過程説明会に参加してお話を聞く中で,たしかに「今までと変わらない」というフレーズを何度か聞きました。しかしそこには,大事な文脈があるのですが,それがちゃんと伝わっていないというのが今回のお話。

新学習指導要領,特に6月23日に公開された解説編について,非常に細かな内容まで記されています。教科等においても,指導内容まで具体的に踏み込んだものが多いです。

文部科学省の意図は,「ベテランの先生方の持つ授業のノウハウを,(特に都市部で顕著に多くなっている)若年教師に伝えたい」というものだそうです。授業でも「可視化(見える化)」が大事といわれますが,なんとなく伝わってきたものを,ちゃんと文で表すことで,より多くの先生の技術にしようと考えているわけです。

その中で「ALという授業改善の視点をもつことが重要」という表現が出てくるわけですが,これはAL型授業がゴールではなく,ALの視点をもって今までの授業を改善していこうというものです。

しかし実際は,これまでの優れた実践はALの視点から見ても,やはり優れた実践です。なので,これまでの「よい授業」はALの視点で見ても「よい授業」であり,そのよさは『今までと変わらない』という表現になるのです。ここに込められている文脈は,「何か新しいことをしなくてはいけない」とか「授業の進め方を転換しなくてはいけない」とかそういう意味ではなく,

よい実践は『今までと変わらず』よい実践」である。

ということなのです。

これが市町村レベルになると,指導主事から「今までの授業から大きく変わらないですよ」や「何も特別新しいことはしなくていいですよ」になり,聞き手の解釈も相まって「今までの授業から何も変えなくていいんだ」になってしまうわけです。それも授業改善が絶対必要な先生に限って(苦笑)。

ただしこれには伝える側にも問題があります。具体的な手立てを示さないでいることです。もちろん「論点整理」にあるように,一定の型を示すことに対して抵抗があるのはわかりますが(この論により「単元を貫く言語活動」という表現が見られなくなった),それならばハンドブック形式にするなりして,多様な手立ての例を具体的に示すこともできるはずです。手がかりなくして「がんばれ」では現場は困ってしまいます。

大事なのは,ALの視点で「不断の授業改善を行うこと」であり,「何も変わらなくてよい」わけがありません。よい授業のための手立てを分析し,自分のものにしていくことが大切です。このことをちゃんと伝えて欲しいと思いますし,そのように受け止められる先生が,一人でも多くなって欲しいと思います。

「全員参加」授業のつくり方「10の原則」 

授業改善の視点としてのALは子供が主体的・対話的になっていることが,最低条件です。そのために子供が課題に対して「自分事」になれるための工夫がたくさんかかれています。国語&算数の先生は必見!です。


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