【実践】発問や応答の在り方

学習活動(ギャラリーウォークやワールドカフェなど)を新たに設定することも,ALの授業づくりで一つの方法ですが,もっとシンプルに子供を主体的・協働的に学ぶことができるようにする方法として,発問と教師の応答について取り上げたいと思います。

よくある授業でこんな場面はありませんか?(T:教師 C:子供)
T: この問題の答えは何でしょう。
C1: ○○(誤答)だと思います。
T: 他の考え方はありませんか?
C2: △△(正答)だと思います。
T: なるほど,△△ですか。そうですね。

誤答についてスルーして,正答が出るまで発問(?)を繰り返すやり方です。
私の仕事柄,教育実習生や大学生の模擬授業を見る機会が多く,このようなやり方を見る事も確かに見かけます。

上の活動の問題点は
① 子供が教師の評価待ちになっている。(受動的になっている)
② 子供同士での評価がないので,教師と発表する子供だけの活動になっている。
(「教師」と「発表する子供」だけの学びになっている)
③ 子供の発表を教師が説明し直してしまっているので,
ますます子供の発表を聞く必要感がなくなる。
です。いずれも主体的・協同的な学びとは離れたものでしょう。

そこで,改善(Lv.1)。
T: この問題の答えは何でしょう。
C1: ○○(誤答)だと思います。
T: 他の考え方はありませんか?
C2: △△(正答)だと思います。
T: 他の考え方はありませんか?(繰り返す)
T: …(無くなった時に)。それではどの答えが良いと思いますか。
C3: △△だと思います。
T: そうですね。△△が正しいです。

安易に正答だと決めつけず,どの答えが正しいかどうかを子供自身が判断することを繰り返し行っています。これにより最後の発問に答えるために,発表を聞く必要感が出てきます。主体的に学ぶ姿勢が少しは高まるのではないでしょうか。

改善(Lv.2)。

T: この問題の答えは何でしょう。
C1: ○○(誤答)だと思います。
T: みなさんはどう思いますか?
C2 違うと思います。私は△△(正答)だと思います。
T: 他の考え方はありませんか?(繰り返す)
T: …(無くなった時に)。それではどの答えが良いと思いますか。
C3: △△だと思います。
T: なるほど,では△△が正しいという事でよいですか?
C(複数): いいです。

発問の答えに対して相互評価が促されています。2つ目の教師の発問「他の考え方はありませんか?」は,言葉としては上のものと変わりませんが,意味合いが変わっています。
複数の回答がある(子供の考えの正誤が保留されている)状態でのこの発問は,正答を求めているのではありません。問題に対して再考を促す発問です。仮にC1が正答を言ったとしても,この発問は同じように行われるのが大切だと思います(でないと,最初の応答と同じです)。

改善(Lv.3)。

T: この問題の答えは何でしょう。
C1: ○○(誤答)だと思います。
C 複数: (ざわつく)
C2 私はC1さんとは少し違っていて,△△(正答)だと思います。
T: どうしてそう思ったの?本当にそうかな?
C3: だって□□を考えると,○○より△△の方が良いからです。
 C4: ○○はここが違うんじゃないかな?
C (複数): なるほど~。
T: なるほど,では△△が正しいという事でよいですか?
C (複数): いいです。

子供のざわつきは,発表内容を聞いている証拠です。ある意味,相互評価の一部と捉えてよいと思います。子供の学びが協同的になってくると,教師のかかわりが減っても授業のねらいに迫ることができるようになります。実際に赤字の部分は,慣れてくれば必要なくなるでしょう。多くの子供が,主体的・協働的に学ぶことができている応答と言えます。

これまでいくつかの改善案を紹介してきました。しかし一つ大きな問題点があります。それは教師の最後の発言「では△△が正しいという事でよいですか?」が本時のねらいに即したものになっているかということです。つまり,話し合いの結果,本時の目標からそれた結論が導かれる可能性について,どう扱うかという事です。

これについては,本時の課題(問題)設定が重要になるでしょう。そして,課題解決においてそのことを意識させる(思い出させる)支援が必要になると考えます。必要であれば,子ども同士の話し合いの中で,直接的に「今日のめあてに合うかどうかも,考えてみてね」という声がけをすることもあるかもしれません。

「AL型授業をするには,課題設定が重要である」という主張は,校内研究のテーマ(視点)として扱うに足る内容であると言えるでしょうね。


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