「協働的な学び」が「対話的な学び」にシフトした理由

これまでALについて語るときのキーワードの基本を「主体的・協働的な学び」としていたのですが,最近のキーワードがちょっと変わってきているようなので,紹介しておこうと思います。

ALを「主体的・協働的に学ぶ」と定義(?)されたのは,平成26年11月20日中央教育審議会の初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)でした。以前「協同と協働」という記事で書きましたが,諮問の内容においては協同と協働はその意味の違いについて,強いメッセージ性はないのではないか,というような押さえでいます。

一方で前記事にある通り,「協同学習」「協働(学習)」「協調学習」には,それぞれの主張があります。そのため,ある程度そのことを知っている人からすると,その違いの明確化が必要になり,その研究にもたくさんの時間・手間がかかることとなります。そうすると,文部科学省の本来のねらいである「能動的な学び」のための授業改善が進まなくなってしまう懸念があります。

また,協働学習という名の下で実際に行われている授業は,結局ペア学習や発表の仕方の工夫程度に収まり,それが話型指導などが強化された教師主導型の授業に流れるという,まったく逆向きに進んでるということも指摘されています。(詳しくは下の本「アクティブ・ラーニングを妨げるもの」で)

自分も「協同」的な学びということでこれまで4年間研究してきました。協同的な学びを展開することで得られるのは,「協同」を通してより「主体的」になっていくという価値と,「協同すること」そのものの価値,の2つであると考えています。それは,教科等で学んでいく内容そのものではなく,学ぶ意欲や,協働する大切さに気付くといったことなのではないでしょうか。

協働的が対話的にシフトしてきているので,その部分だけについて書いてきました。しかし,「対話的に」という言葉を使うようになってきた意味は,上の文章を受けて教科の専門性にかかわっての理由もあると思うのです。少し長くなったので,そのことについては次の記事で書こうと思います。


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