アクティブラーニングの研修を受けて感じたこと

先日アクティブラーニング研修(「・」がない方)の研修に参加させていただきました。そこでは「シアターラーニング」というアクティブラーニングの「在り方」を学ぶという名目で,研修がなされていました。私なりに感じたことを整理していこうと思います。

まず,大きな突っ込みどころとしては,配布資料のタイトルには大きく「アクティブ・ラーニング研修」と書かれていたことです。「・(中点)がある方の研修なの?」と突っ込みたくなったのですが,教育関係専門のではないところの研修なので(そもそもそういうところでも「AL研修」と言えてしまうのも,定義が広いせいなのでしょうが),そこは黙認という事で。

今回の研修は,身体的活動に振り切った研修でした。受講者は,ALと演劇のつながりについて学び,それらを実際に体験し,ALのよさについて体験するというプログラムでした。

私のイメージで言えば,演劇(シアターラーニング)はALの(かなり限定的な)一つの要素であると考えています。「演劇を通して学ぶことはALである」と言えますが,「演劇を通して学ぶことでALのねらいが達成されるか」と言うと,これは難しいでしょう。主体的・対話的の面での資質・能力はある程度達成されるかもしれませんが,どの教科のどの単元でも使えるようなものではありませんし,なにより深い学びを達成させるには,決して万能とは言えない方法だと考えるからです。

私が怖いなと思うのは,「うちの学校では演劇をやっているのでALだよ」などと考える学校が出てくるのではないかという事です。その心配をするのは,今回の研修に参加されている方は,高等学校の先生方が多かったからです。今回の研修を受けて,高校の先生方はどのように授業に生かそうと考えたのか,私にはイメージが付きませんでした。あるとしたら,学校レベルで「総合的な学習の時間」に特設授業的に演劇的な活動に取り組むことであり,それは本来文科省が言うALの3つの視点からはだいぶ離れていると言えるでしょう。

特に初等教育におけるALでは,「活動あって学びなし」「這い回る経験主義」などの過去の指導法の反省から,ALもまた「能動的」の名の下に,学習が伴わない「活動」が横行するのではないかということが懸念されています。そのことは平成27年度8月の「論点整理」にもある「特定の型に拘泥することなく」という表現にもよく表れていると思います。

初等教育においては,アクティブにするべきは「思考」であり,身体的活動はそのためのステップ(手段)であるという押さえが一般的になりつつあります。そういった意味で,今回の研修から「演劇をしているからALである」という考え方があるとすれば,危険な考え方であると言わざるを得ません。

参考になったものもたくさんあります。今回の研修での資料は,身体的活動を通してALであるかの基準(ルーブリック)が示されていました。評価の見取りは「活動の様子」を通して行うのが一般的なので,Alを通して活動をして,その活動による評価(パフォーマンス評価)を行うためには,大変参考になりました。

普段の授業においても,それらをどの程度クリアしているのか,あるいは今後クリアできるようになるか,という視点でとても勉強になりました。研修の前半で示された「主体的」「協働的(対話的)」「深い学び」における,評価の基準の一つとして,今後求められるものだと思います。ALの評価は昨年度以来,各研究校でも悩んでいるところのようです。

最近,初等教育の視点から見るALについては,その中核が「子どもの視点から,継続的に授業改善を行う」という方向へシフトしており,「AL」という言葉が与えた大きな衝撃から見ると,比較的ソフトな「改善」(転換ではなく)という着陸点を見た気がしております。

その一方で,目指す方向にある中等・高等教育(特に高等学校のカリキュラム)については,大幅な改革が進んでいます。初等教育にかかわるものとしては,そこで求められる資質・能力について理解し,育成していくことが大切ではないかと考えています。


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